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戦後70年

今日8月15日は「終戦記念日」です。



今年は戦後70年といろんなところで耳にしますが、70年って長いでしょうか・・
私はさほど長いとは思わないのです。


70年なんてほんの短い時間だと思います。


戦争で大切な人を亡くした方たちは今もその人の理不尽な死を思い涙を流されます。
昨日のことのようにその日を思い出し、何十年経っても、その悲しみや心の傷がいやされることはありません。


まだ日本は戦争のない社会を70年しか守っていません。

確かに人の一生の長さ、と考えた時、70年は長い時間かもしれません。
でも、子ども孫、そのまた子供そのまた・・・・と考えたら、もっともっと、もっと長い時間の平和な時が続くことが大事だと思いました。


よく、戦後長い間平和だったから、日本人は「平和ボケ」していると言われます。


「平和ボケ」という言葉、誰が言い始めたのか知りませんが本当にひどい表現です。

でも、あえてその言葉を使わせてもらうとしたら、
武器を携えて世界の紛争に加担していこう、それが日本の役目だ、と考えてしまうことこそが「平和ボケ」ではないかと私は最近思うのです。

戦争が国民にとってどういうものだったのか、ということをたった70年の平和の間に忘れてしまった人がこの国にはいるのだ・・と恐ろしくなります。



亡くなっていった兵士の多くは昨日まで職人だったりお百姓さんだったり会社員だったり・・と言った普通の人々でした。
兵士が足りなくなって、学生までが駆り出されました。

海外の紛争地域で少年が銃を持つ姿に戦慄を覚えますが、日本もほんの70年前同じようなことをしていたのです。
戦争末期には兵隊さんにも木製の銃しか行き渡らなくなり、少年兵たち自身が「使い捨ての武器」の役目を果たしました。


そして、武器を持たない、ただ普通の暮らしをしていた何万、何十万もの人々が虐殺されました。
朝起きて、朝ごはんを食べ、さあ今日も一日がんばろう、と思っている青い空に原爆は投下されました。



それが戦争なのです。



そんなことをもう一度胸に刻んで、今が「戦前」にならないようにしたいと切に思った一日でした。




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今日、思うこと

あの日から4年経ちました。


自然の持つ力は大きくて、
人間の知恵がそれを超えることは容易ではない・・と知ったあの日のことを思います。


人間も自然の中の一部に過ぎません。
何でもかんでも「知恵」でコントロールできるわけではありません。

謙虚さを持ちあわせて生きるということを心に留めておく必要があるのです。


あの日教えられたそのことを、真摯に受け入れることが
本当に安心できる社会を作ることだと思います。


忘れないとは、そういうことではないのかな・・・と思います。


そして、それができる人に、この国のリーダーでいてほしいと切望します。


誰かを犠牲にしなければ発展できない社会は、
結局、誰のことも幸せにできないのではないか・・・
そんなことをあの日以来感じています。



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被害に遭われた多くの皆様に祈りと共に心を寄せて
この日を過ごしたいと思います。






選挙

12月も半分過ぎてしまいましたねぇ~・・・・・(´・ω・`)

ちょっとカゼをこじらせておりました。
先週は大事な用事がたくさんあったのに、すべてキャンセルの残念な一週間でした(T T)

病み上がりの体でしたが、昨日はがんばって選挙に行ってきました。
家から歩いて3分くらいのところが投票所という恵まれた環境なんです^^;

我が家には、今年ハタチを迎え「はじめてのとうひょう」をする息子がおりまして・・・
彼なりに考え考え、人生初の投票をしてきたということです^^

自分の世代の投票率がどのくらいだったのか早く知りたいなぁ、と言っていました。


ニュースを見ていたら、街頭インタビューで
「う~~~ん・・・あんまりぃ選挙ってぇ、わからないんですけどぉ。ウフフフフ~
でもぉ~ギムだからぁ、いちおー行かないとなぁ・・・とかって思ってまぁす♡」
と語るきれいなお嬢さんがいらっしゃいましたが^^;

投票は義務ではなく「権利」です。


あなたが生きる未来の日本を、どんなふうに造っていく人に政治を任せるか、という民意を反映することができる大事な大事な1票ですよ。お嬢さん。

でも、「投票に行こう」って思ってらっしゃるということは、よかった!と思います^^・・・けどネ。



息子の学校の友人に、ブラジル国籍の人がいるのですが、ブラジルでは投票は「義務」なのだそうです。
しかも、投票しなかったら「罰金」が科せられるとか。

というわけで、このお友達は 10月に行われた大統領選の投票に領事館(だったかな?大使館かも・・)まで出向いたということです。

国が変われば、国民の権利や義務も変わるものなのですね。
そして、その1票さえも「無い」という国が世界にはたくさんあります。

香港で長期にわたってデモを行っていた学生たちも、一人1票を求める、民主的な選挙をしたい、という
日本ではあたりまえだと思われていることのために闘っているのです。


今回の選挙は予想通りの「何も変わらないように見えるのに、政権の側は国民の信任を得た、も~なにやってもいいんだもんね」な結果になってしまいました。


皆さんがどのような考えをお持ちかは、それぞれに違うでしょうが
私は わずかばかりの「アメ」をちらつかされて、その後大きな負担を押し付けられるのではたまったもんじゃないなぁ・・・と思っています。

しかもこのアメは、もらった時はフワフワでもすぐにしぼんでしまう 綿菓子のようなアメ・・・のように思えてなりません。



今後、来年4月には統一地方選挙があり、2016年には参院選も控えています。
一人一人の1票を 民意として反映させる機会はまだ「これから」です。


私たちに「与えられている」1票の権利。
大切にしたいと思っています。


オマケです。
息子に教えてもらいました。
お時間許す方は見てみてください。
若い世代の心は動かしたみたいですよ^^;
クリック➡【選挙速報】テレ東の選挙番組 当確のテロップ紹介文がおもしろいwwwww 


・・・・・・(´・ω・`)
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最近思うことなどーーー御嶽山の噴火ーーー

みなさま ごきげんよう~~^^
ちょっとお休み(=おさぼり^^;)しようかなぁ~、なんて思っていたら、あっという間に二か月近くの月日が経っておりました。
びっくり・・・・!

前にこのブログを書いた頃はまだすごく暑かったのに、この頃では朝晩すごく冷えますね。


本当に時間が経つのが早いです。
脳科学者の茂木健一郎さんによると、
「時間が経つのが早い!」と感じる人は「新しいことに挑戦していない人」なのだそうです。

変わり映えのない毎日を過ごしているから時間が早く過ぎるように感じるのだとか・・・
は、反省・・・(^^;


ですが、この二か月弱の間に、世の中ではなんといろいろなことがあったことでしょうか。
私の零細ブログ(笑)を訪れてくださる方たちはお変わりなかったでしょうか。


安倍内閣が改造されて早くもほころびを見せ、
大きな台風が二つも・・
錦織圭選手が全米オープンでグランドスラムへ・・

エボラ出血熱がじわじわと世界に広がり
デング熱が国内でも発生・・・

香港では長い間学生や市民が「民主的な選挙」を求めてデモを続けています
iPhone6も発売されました。画面が大きくてちょっと気になる♡

昨日は阪神タイガースが優勝してしまいましたね^^
この勢いで行くと、日本一も・・・かも・・・

「ごきげんよう」の花子とアンも終わってしまいましたーーー

いろいろなことが日々起きていますが、
なかでも、私がとても驚いたのは 大きな犠牲が出た御嶽山の水蒸気爆発です。


この山は、娘時代に幾度となく訪れた長野や新潟のスキー場への道中 何度も見た思い出深い山です。
南アルプスの峰の中からひときわ頂を聳え立てている美しい山でした。

京都のまあるい山にしかなじみのない私にとって、南アルプスの山々はとても勇壮でちょっと怖い感じさえしたものです。


私が小さい頃には、御嶽山は「死火山」だと教わりました。
かつて噴火をしたことはあるけれど、今は活動を終えた火山、という認識でした。

しかし、その後 一度でも噴火をした火山は またいつか噴火活動をする、という認識に変わりました。


日本に100ほどもあるといわれている火山のすべては、いつかまた、いつでもまた、噴火活動を始めるのだという事・・・
御嶽山もその中の一つだったのです。

地震とは違って、火山の噴火はある程度様子がわかりやすく、予知も可能なのだろうと なんとなく、私は思っていました。

ところが、今回の御嶽山の水蒸気噴火でいろいろと報道を読んだり聞いたりして見ると・・・

まず、100ほどもの数がある日本の火山ですが、きちんと観測の体制がとられているのはその半分にも満たない40強くらいだとか。
ひとえに「予算不足」「人手不足」だということですが、
100もの「いつ活動を始めても不思議でない」火山があるというのに、日本はなんと暢気な国なのでしょうか。

それでも御嶽山は、24時間体制で観測がなされてはいました。

少し前の9月上旬、火山性微動という兆候がありました。
しかしそれは、「マグマ噴火」には繋がらないと判断され、入山制限などの措置も取られないまま事故は起きてしまいました。

火山活動には次の三つの形があり、今回の御嶽山の事故は最も前兆がわかりにくい水蒸気爆発だったということです。
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さらに驚くのは、多くの火山学者が「それ以外の噴火に於いても正確な予知は難しい」と語っていることです。

『ある程度「危険かもしれない」ということは言えるが、100%の確率ではない。
そこで入山規制などの制限を加えた場合、経済的損失がでるわけで、そのことを国民のみなさんが納得するか』
という言い方を火山予知連絡会会長はしていました。

国民の意識が  命<経済  であるということなのでしょうか。


せめて、火口付近への立ち入り制限というレベル2に引き上げられていれば、多くの方が助かったのではないか・・と悔やまれてなりません。
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昨日、ニュースを見ていたら 震災以降はじめての再稼働に向けて着々と歩みを進めている川内原発の住民説明会の様子が流れていました。

御嶽山の災害の後ということで、姶良(あいら)カルデラなどいくつもの大規模火山噴火の痕跡が周辺にある川内原発の再稼働に向けての動きに住民の方たちはより一層の不安を感じています。

それに対して、原子力規制委員会は「時間軸が違う話を一緒にしては困る」との発言をしています。


何万年に一度かもしれない火山噴火の危険と、人間社会の何十年、何百年、という時間軸を合わせて同時に語ることは科学的でない、ということのようですが、果たしてそうなのでしょうか。


一年365日のたった一日である9月27日・・・雨の日でも夜中でもなく…秋晴れの日の、
一日24時間の中で、ちょうど多くの人が山頂に着いた時間に水蒸気爆発を起こした御嶽山。

御嶽山にしてみれば、何万年とか短くても何百年という時間軸の中での爆発でしたが、それは、人間の営みの中で ちょうど「さぁ、山頂でお弁当を食べましょう」というタイミングに当たってしまいました。


時間軸がどんなに違っていても、最悪のタイミングに重なることはあるのです。


大昔の人たちは 地球の長い長いスパンの時間軸の方に合わせるような生活をしていたのではないかと思います。
御嶽山をはじめ、多くの山が「信仰の山」であることの意味がそこに現れているように思います。
私たち人間のほうが、自然の時間軸に合わせて暮らしを作る、というような考え方が今、必要なのではないかなぁ・・と思うのです。


原発を稼働させたい電力会社と国・・・
ここでも、  命<経済  という図を思わせます。


『火山学者が「異論」、川内原発の審査基準 』
という動画を見つけました。
はめ込みができないようなので、クリックしてくださいませ。

同じ浅はかな過ちを、何度も繰り返そうとする人間社会の在り方を考えさせられます。

8月12日に思うこと

29年前の今日、8月12日、御巣鷹の山に日航機123便が墜落しました。

あの日のことはとてもよく覚えています。


イトコが日航社員になったばかりのころでした。
当時は羽田勤務でした。
それで、父や母もちょっと動転していました。


多くの方が亡くなられました。


新人社員だったイトコはその後、人生観が変わるような日々を送ります。


日航の経営危機のころ、良い条件で会社を変わるようなお話もあったそうですが、その選択はしませんでした。
償うことを途中で放り出してしまうような気持がしたそうです。


今では幹部となって、若い世代にこの事故のことを語り継いでいます。

人間は失敗するものだけれど、同じ失敗を繰り返さない知恵も持ち合わせている。
その第一歩は「忘れない」ことだ。

そんなことを伝えているそうです。



国民的スターだった坂本九さんもこの飛行機に乗っていらっしゃいました。
笑顔がステキな方です。


当時まだ幼かった坂本九さんのお嬢さんの大島花子さんは今、歌手として活躍していらっしゃいます。

歌声がとてもやさしくて心に響きます。
Facebookで知って、大好きになりました。

大島花子さんの語り掛けるような歌・・・
「一本の鉛筆」
という歌をご紹介したいと思います。


この歌は、世界に平和を発信したいという広島テレビ放送の企画で、平和をテーマにした音楽祭が始まったことがきっかけで生まれた歌なのだそうです。

昭和の歌姫、美空ひばりさんが賛同して歌ってこられた歌だという事です。


  一本の鉛筆があれば
  私は あなたへの愛を書く
  一本の鉛筆があれば
  戦争はいやだと 私は書く

  一本の鉛筆があれば
  八月六日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば
  人間のいのちと 私は書く

「一本の鉛筆と一枚の紙があれば、たった一人でも反戦を訴えることができる」という歌です。


大切な人を失うなどという経験は誰もしたくありません。
それをしなければならなかった人は、それが二度と、せめて、人為的に起こらないようにと願う・・・
そんな思いを感じるのです。


間違いは二度と繰り返さないように。
それが紙一重の差で今、生きている私たちに課せられた宿題だと思います。



8月6日・・・・地震明けの朝に思うこと

昨夜、真夜中に地震がありました。

あったみたいです・・・。

ぐっすり寝ていた私は、ガタガタガタガタッと揺れた(・・・んだそうですね)最後の「ガタ」くらいで「あれっ」っと・・
やっと目が覚めました。
同時に怖がった娘が「じしん~~~~~」と言いながら私の部屋に来たので、あわてて起き上った時に・・・・・

痛めている左腕で、全体重を支えてしまいました(T T)

薄紙をはぐようによくなってきていた私の左肩・・・・
げきつうが走り、しばらく地震どころじゃありませんでした(^^;

ガタガタとはしましたが、大した事なさそうだったのでまた寝ましたけど。


震源は、このところ同じ場所で何度も揺れている場所です。
京都市のある場所から、北西の方向、亀岡市や南丹市があるあたりです。


ふだん、大きな災害が来たら コネちゃん抱えて避難・・・って思っているのですが、自分の体がどこか一か所でもよくないと、「思っている通り」に行動できないものだなぁ・・・と思いました・・・。

今の私は、「あ、地震!」と思って飛び起きると、しばらく「いたたたたた・・・」と動けなくなる・・・ということが判明したのです。


体が不自由な人や、お年寄りなどご自分で機敏に動けない人などにとって、災害は厳しいものだ・・と痛感するのです。


ねぇ、だれか~
避難するようなことになったら・・・ママを連れて行ってね。
置いて行かないでね。


コネたんは ママがだっこするから・・・・


・・・・・・ちょっと不安になったのでした(^^;


家族には「まず、ママ、自分で起きんとさぁ~・・・・寝てる間にみんないなくなるよ」って・・・。


ほんとだ~~~(^^;



下僕、頼りにならへんわ・・・・ボクも寝てたけどな~~
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そして朝・・・
今日は広島に原爆が落とされた日から69年目の8月6日です。


松井市長の
「『絶対悪』による非人道的な脅しで国を守ることを止(や)め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください」
という平和宣言がとても重いものだと感じます。

武器を持つことで抑止力とする、という考え方を持つ人に武器を持たせてはいけないように私は思います。

「憲法のもとで、69年間戦争がなかった事実を受け止め、平和国家の道を歩み続けるよう」政府に要望した平和宣言を政府も重く受け止めてほしいと思います。


災害も戦争も、弱い立場の人から犠牲になっていくということを、自分も思うように体を動かせない立場になるとより感じます。


地震、津波、台風、大雨・・・・
日本は自然の条件は厳しい方の部類に入る国だと思います。


これだけ厳しい条件のもとにある国なのですから、せめて、人的な災害は極力起こらないような社会を作っていくことが大事なのでは・・・とふつうのお母さん(+体の一部が不自由な)は思うのです。

ながとーもサン

そんなわけで、肩の不調は地味に続いておりますが(^^;
お医者さんには「なんじゅう肩か知らんけど、シップ貼るくらいしかないわなぁ」と冷たくあしらわれました。

「あんまり痛かったら、関節のとこにふっとい注射したげるわ」
ですって(T T)

痛みを和らげて動かす方がいいそうです。

お医者さんにはカタく止められましたが、もちろん!毎晩 こねおさまには肩関節まくらはご提供しております。

(ほな、治るわけないやんwww)



今、日本のテレビニュースをつければ、必ず、毎日、「サッカーワールドカップ」報道が「これでもか!!」という具合に流れています。
何とかがんばって盛り上げよう!と一生懸命なテレビ関係の方たちの涙ぐましい努力を感じます(^^;


でも、やればできるんですよね。
「伝えよう」と本気を出せば、こんなに毎日、すごく時間を割いて情報提供を続けることは可能なのだなぁ~ってちょっと感動的ですらあります。

本当に伝えなければならないことにこれくらい時間やエネルギーをかけてもらいたいなぁ・・・とつくづく思います。


さて、イヂワルな物言いはこれくらいにして(^^;、こんな風に言っているわたくし、実はけっこうワールドカップを楽しんだりしているのです。
先日の日本VSコートジボワール戦も、かなり家で盛り上がって観戦しました。

2点目入れられた時には、思わず悲鳴が・・・

息子に「今、コダマしいひんかった?ママの悲鳴・・・」って言われました。
窓…開いてました・・・・

何しろ、私、以前から「ながとーも」さんのファン!
このブログをはじめて間もない頃にもちょこっと書いていました。
 こちら⇒長友さん 初ゴール!!

2011年3月7日・・・

まだ、日本が平和だったころですね・・・


何故、ながとーもさんのファンなのかと言いますと、彼の「黙々と職責を果たす」姿に好感が持てるからなんです。


たぶん、もともと、そういう人が好きなんですね。


黙って頑張っている人・・・
応援したくなるんです。


tomotanさんの情報によると、アメリカでは日本のような「みんなでいっしょに!!」みたいな感じは一切ないようで、
改めて、アメリカは大人の国だなぁ…と思うわけです。

確か、オリンピックの時も そんなに盛り上がってないって書いてらっしゃいました(^^;


日本は、幼稚園のころから「みんないっしょに、元気に!お手々つないで!!」が強く刷り込まれていますから、本当に押しつけがましいったらありません・・・よね。


でも、私は好きなので(ながとーもさんが!)明日も応援しますよ!


すっかりインテルに浸透した「おじぎ」
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2011年3月 初ゴール!


何を物差しにするのか

昨日、福井県おおい町の関西電力大飯原発3・4号機の周辺住民らが、関西電力を相手取り運転差し止めを求めていた訴訟で、福井地裁(樋口英明裁判長)は住民の訴えを認め、運転差し止めを命じる判決を言い渡しました。


大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文 


非常にわかりやすく、すとんと腑に落ちる内容です。


『生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。』

ということが判断基準に据えられています。
そこに照らして原発を見た場合、

『原発は社会的に重要だが、電気を生み出す一手段で、人格権より劣位にある』
と司法は判断しています。

 ※人格権=人が自己の生命・身体・自由などの利益について有する権利

人格権とは、憲法によって私たち国民に保障されている大切な権利なのです。
それより、原発の重要性は劣位、つまり低い位置にある、ということです。

また、原発の経済性優位についても次のように判断されています。

『被告(=関西電力)は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。

『このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。』


判決では、東京電力福島第一原発の2011年3月に起きた事故にも深く触れていてます。
あの事故以降、私たちのような平凡な一市民が持ち続けていた素朴な疑問、原発の稼働に対する懸念を反映させるものだと感じました。


今日、関西電力は控訴し、次は高裁で争われることになります。


非常に画期的な判決だったと思いますが、次のような意見もありました。


大飯再稼働訴訟 不合理な推論が導く否定判決ーー読売新聞社説より


この社説では、
『「ゼロリスク」に囚とらわれた、あまりに不合理な判決である。』と述べています。

『判決が、どれほどの規模の地震が起きるかは「仮説」であり、いくら大きな地震を想定しても、それを「超える地震が来ないという確たる根拠はない」と強調した点も、理解しがたい。
非現実的な考え方に基づけば、安全対策も講じようがない。』

『別の住民グループが同様に再稼働の差し止めを求めた仮処分の即時抗告審では、大阪高裁が9日、申し立てを却下した。』
ことを取り上げたうえで、

『最高裁は1992年の伊方原発の安全審査を巡る訴訟の判決で、「極めて高度で最新の科学的、技術的、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」との見解を示している。』

『原発の審査に関し、司法の役割は抑制的であるべきだ、とした妥当な判決だった。各地で起こされた原発関連訴訟の判決には、最高裁の考え方が反映されてきた。』

と述べています。

そして
『福井地裁判決が最高裁の判例の趣旨に反する』
と結論付けています。


しかし、この最高裁の判決は、1992年のものです。
2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発の事故はここには反映されていません。


やはり、その時代に即した判断の基準があり、その指針に添った判決、というものがあるのではないか・・
最高裁の判決を一審が順守することを求められるのなら、何のための裁判なのだろう・・と素人の私は思ってしまうのです。


昨日Twitterで、キャスターの長野智子さんが奇しくも同じ1992年に リオデジャネイロで行われた地球サミットでの「セヴァン•スズキ」という少女が行った伝説の­スピーチを紹介されていました。

「治し方を知らないのに 壊し続けるのはやめてください」





ともすれば大人は、「そうはいっても経済的に考えれば・・・」と経済性優位の物差しで物事を測り、様々な理不尽を納得しようとします。

何より経済性を優位に据え、命さえもその中では劣位に置かれてしまいます。
経済の発展のためには、多少の犠牲は仕方のないこと・・という考え方にどっぷりとつかってしまいがちです。

この少女は、そんな「物差し」しか持たない大人に怒っています。


震災を経験した今、私たちは「物差し」を変える時に来ているのではないか・・・
私はそんなふうに思いました。


一番大切なことは何か、物差しを持ち替えて、もう一度そこから社会を組み立てなおす好機だと思うのです。


セヴァン・スズキさんはあのスピーチから20年経った今も少しもぶれずに活躍中です。

セヴァンの地球の治し方

かみついた犬とヒーローになった猫

昨日からTwitterやFacebook、今日は朝からテレビで何度も何度も流される動画。
多くの方が目にされたことと思います。


『アメリカカリフォルニア州ベーカーズフィールドの私道で、自転車に乗って遊んでいた男の子に犬が襲いかかり、男の子の家族が飼っている猫が走ってきて犬に体当たりし助ける様子』の動画です。


犬にかみつかれた飼い主の男の子を「タラ」というメス猫が果敢に立ち向かい追い払って助けたのです。


お父さんによると、数針縫うようなけがだったが 大事には至らなかった、ということです。



男の子はどんなに怖い思いをしたことでしょう。
けがが重傷でなくて本当に良かったと思います。


ただ・・・


どの報道を見ても、「猫、すばらしい!」というはしゃいだ感じで、キャスターのテンションも高いのです。

これとか・・・
フジテレビ系(FNN)「米・カリフォルニア州で犬に襲われた子どもが猫に救われる」

これとか・・
テレビ朝日系(ANN)「犬に噛まれた少年を飼い猫が体当たりで救出」



この猫は、もしかすると男の子を母性本能で守ろとしたのかなぁ、と思うといっそうかわいく思えますし、男の子が大きなけがをしなくてよかったと心から安堵もします。

確かに危機一髪を救った猫は素晴らしいと思います。


でも、私は「加害者」になってしまった犬のこともとても気になるのです。


2月に北海道でも飼い主がリードを外して散歩させていた土佐犬が女性を襲い死なせてしまった事故がありました。
飼い主は自分の犬が襲ったことを知りながら女性を救護せずに放置。
その後現場へ戻り第一発見者を装う、という悪質なものでした。

どう考えても、悪いのは飼い主ですが、この土佐犬は殺処分されてしまいました。


このアメリカの事故でも、次のような報道を目にしました。

ロイター 5月15日(木)16時2分配信
「猫が飼い主の子供救う、猛犬に突進し撃退」



ここには
「警察によると、男の子を襲った犬は8カ月のミックス犬で、殺処分される。飼い主は近所の住人だという。」
と書かれていました。


たぶん、この事件が大きく取り上げられ注目を浴びたのは、
「犬は飼い主に忠実で飼い主を助けるものだが、猫は飼い主のことなど気にも留めずのんびり昼寝をするもの」
というようなニュアンスの思い込みが人間の側にあり、それがここでは逆転したかのような状況だったことがおもしろがられ、関心を引いたのではないかと思うのです。


しかし、大事なのは このような事故がなぜ起きたのか、ということです。


飼い主の責任が重いことは明らかです。

人に危害を加えた事は大変いけないことですが、罰せられるべきは飼い主です。
むしろ、ろくな躾も受けられず、放し飼いにされている「加害者となってしまった犬」は この劣悪な環境から保護されるべきで、愛情のもとで訓練を受けることが望ましい、と思うのです。

上っ面なテンションの高い伝え方でなく、
そのへんまで踏み込んだ報道が一つでもあればよかったのにな・・ととても残念です。


本来、犬も猫も 飼い主が温かい愛情を注ぎ、適切な躾をすることで 人と良い関係を持つことができる友人なのに・・。
お互いに大好きなはずなのですから。


めでたしめでたし、とは思えなく モヤモヤした気持ちが残ります。



※アメリカCNNの映像もありましたが、日本と似たような感じ?でしょうか??
ここはtomotanさんの見解を期待!

※Twitterではカリフォルニア州の動物愛護団体の尽力により殺処分が取り消されたとのツイートも見ましたが、元記事がないため詳細は不明です。



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私の母の日

昨日は「母の日」でしたね。


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今から24年も前に私は母を亡くして、それから子供を産むまでの数年間 私は「母の日」が来なければいいのに・・と毎年思っていました。

とにかく、5月のその日が近づいてくると テレビも雑誌も新聞も…町に出ればデパート、お花屋さん、本屋さん・・・
あらゆるところに「母の日」の言葉がいっぱいで、ふだんは元気な私なのですが悲しい気持ちがあふれ出てきてしまいました。


母のいない私、子供もいない私・・・
母でもなく娘でもないわたし・・・。


何か、世の中から取り残されてしまったような寂しい気持ちがしたものです。


何より悲しかったのは、産んでもらって育ててもらった恩返しをまだ何もしていなかったことでした。



結婚もして、やっとこれから親孝行を・・と思っていたのに・・・
ふだんは封印しているこのやりきれない後悔の念を、世の中の「母の日」という言葉が掘り起こしてしまいます。



そんな母の日が何度か過ぎて私はお母さんになりました。



赤ちゃんが生まれてみると、そのかわいさに幸せな気持ちでいっぱいになりました。
そして、少しほっとしたのです。


母も、若い頃 私を産んだ時にきっと、こんな風にとっても幸せな時間を過ごしてくれたに違いない・・。
そう思うと、若い母と自分が重なり自分もさらに幸せな気持ちになれたのです。


恩返しも親孝行も何もできなかった・・何もお返しできなかった、と思い込んでいたのですが、自分が親になってみると
子供は 生まれてきてくれたそのことが、親孝行なんだな、と実感しました。



親は子供に何かお返しをしてもらおう、なんて考えていないものなのだ・・ということもわかりました。





今の私の幸せは、子供たちが「生まれてきてよかった」と思ってくれることです。


これから、長い長い人生を彼らは生きていくのだろうと思います。
様々なことがあって、それは楽しいことばかりではないかもしれないけれど、それでも「生まれてきてよかった~~」って思ってくれることがあったら、それは 母として何よりうれしく幸せなことなのです。



もちろん、私も「生まれてきてよかった!」と思っています。
人生、それなりに長いので いろんなことがあるにはありましたが(^^;


私がこんな風に思っていること、母に伝わっているといいな・・と思います。



毎年「母の日」は、産んでくれた母に感謝を、私をお母さんにしてくれた子供たちに感謝をする日なのです。


ありがとう!心から!



プロフィール

Espero Lumo

Author:Espero Lumo
ようこそ*^^*
1994年生まれ22歳のおじーちゃん猫「コネちゃん」の下僕です。
ゆる~い更新ですがよろしかったらお付き合いくださいませネ。

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