少しバタバタしておりまして・・・。
3月11日にもブログを書けず、
お友達皆様のブログも読み逃げ・・・。
お許しくださいませ。
11日は、バタバタと忙しくしておりました。
できたことは、心をこめてお祈りすることだけでした。
あれから3年。
早い、と感じもしますが、私はやはりとても長い月日ではないかと思います。
私のようなオバサンになると、3年くらい経ってもシワが増えるくらいでそんなに変化はないものですが、
これが子供たちだとどうでしょう。
3年も経つと、たとえば中学生なら卒業して高校生に・・・
生まれたばかりの赤ちゃんは、幼稚園に通う年頃に・・・
高校生は社会人や大学生に・・・
生活も容姿も激変します。
避難先で中学や高校に入学し、卒業したお子さんも多いことでしょう。
また、これが、犬や猫ならどうでしょう。
たとえば 猫なら、1年に4歳くらい年をとるそうです。
我が家のコネじいは、この3年の間に12歳も年をとり、
だいたい84歳くらいだったのが、96歳にもなりました(!)
福島の原発周辺には、今もたくさんの猫たちがいるそうです。
人間の時間で考えると、12年間もがんばっている・・・
そう考えると、やはりこの震災の重さを感じます。
3年経っても、復興、と言えないことに この震災がどんなに大変なことなのかを思います。
祈ることしかできなかった・・と書きましたが、私は祈ることも大事だと思っています。
両親は、私が幼いころから「神様にお祈りしなさいね」と教えてくれました。
子供のころは、「クリスマスにこんなものやあんなものがもらえますように」などとお祈りしたものです。
でも、実は、両親に教わったキリスト教におけるお祈りは、あれこれ自分の願い事を祈る、というものではありません。
神様は、あなたが祈るより前にあなたの願いを知っておいでである、と聖書には書かれています。
だから、あれがほしい、こんふうになればいいのに・・・と長いお祈りをしなくても大丈夫、安心していなさい、と教わりました。
では、なんのために祈るのでしょう。
それは、神様の声を聴くため・・
祈りとは、神様との対話の時なのです。
と言っても、煙とかが出てきて神様の声が響き渡る・・・というようなイメージじゃなくて(^^;
きっと、祈るうちに自分の心が整理されてきて、いろんな答えが見つかるのではないか・・
私は最近そんな風に感じるようになりました。
心理学的にみると、脳はポジティブな言葉や思考にやる気を出す、そうです。
よく訪問させていただく、心理学の専門家
、『カウンセリングルーム M.heart』のmasumiさんも、ブログで、そんなことを書いていらっしゃいました。
つまり、祈るってそういうことなのではないかなぁ・・と思うのです。
誰かのために祈るときも、自分のために祈るときも、
では、どうしたらいいのか・・・という気づきを得るために、
自分にできることは何かを知るために、
私たちは祈るのではないか・・・
そんな風に思います。
ただ、祈ることしかできないと思っていても、必ずその先に 自分にできることが見えてくる、
そう信じながら、私は今日も祈ります。

「神様、お話しください。私は聞いています」と祈る少年サムエルーーー旧約聖書サムエル記よりーーー
ジョシュア・レノルズ「幼きサムエル The infant Samuel」
- 関連記事
-